NHK教育テレビ(Eテレ)でたまたましていた
「グラン・ジュテ」という番組を見ました。
出演は亀恭子さん(スタイリスト)。
人気ファッション誌で、押切もえさんや蛯原友里さんらのスタイリングを手がける亀恭子さん。自らも誌面に登場し私服のスタイリングを披露したり、女性向け商品の広告に起用されたり、従来のスタイリストの枠を超えて活躍しているファッションリーダーです。
「グラン・ジュテ ~私が跳んだ日~」より抜粋
彼女がCamcanのスタイリストに選ばれたときに
自分自身が選ばれたことは、自分の中の何か可能性のようなものをその人が感じとってくれた
というようなことを話していて、なんだかすごく心に響きました。
(すみません、うろ覚えで。そういう感じのことを話していたということです。)
組織の中で上司から任命されるわけではなく
世界中の中から自分を見つけてもらい、声をかけられる
「自分じゃなくても他にもたくさんいる」
そういう中から、自分を選んでくれたことは何か運命のようなものを感じてしまうのは
私だけなのでしょうか?
ファッションは感性と、今まで培ってきた感覚から生まれるものだと思います。
悲しいことに、私には自慢できるようなものが備わっていない種類の一つです。
テストで例えるなら、私の場合
「欠点はとらないけど、上位を争えるグループには属さない。」
そういうことなのかなと。
実際の学生時代の試験もそうでしたが…
そういえば以前、アメリカのデザイナーを発掘する番組「Project Runway」のシーズン7で
候補者のメキシコ人デザイナーでもあるヘスース・エストラーダが脱落するときに
ホストのハイジ・クラムが
「あなたは、組み合わせるのはうまいし、そのスキルは確かにあると思う。
ただ、あなたのテイストが私にはわからない。」と。
その後、マイケルコースが
「彼は服を作ることは出来る。でも悲しいことに、テイストは勉強して得られるものじゃない。」
と断言していたのをふと思い出しました。
(マイケル・コース)
PS
メジャーな数学や英語・国語などは悪かったのですが
美術と音楽・そして体育だけは良かったのを覚えています。
今でも同じ傾向にあるのかもしれませんね。